
バンドTシャツを着よう

バンドTシャツを着よう
あなたは普段どんなTシャツを着ているだろうか。僕はとりわけ「バンドTシャツ」と呼ばれるものを好んで着用している。Tシャツはプリントされたアートで気軽に自己主張することができる定番のファッションアイテムのひとつだと思う。無地やシンプルなデザインのものをスタイリッシュに着こなすのもクールだが、自身のライフスタイルを服装でも表現したい拗らせオタクの僕にとって「バンドTシャツ」は欠かせないものだ。
バンドのロゴやアーティスト写真がプリントされたTシャツは、着るだけで己の音楽遍歴をアピールできるだけでなく、その人の趣味趣向やアイデンティティをもひと目で表すことができる究極のアイテムだ。しかしこれを着用することは、その人の第一印象を主張できるポピュラーな行為である反面、ときとして対人関係にも影響を及ぼすリスキーな行為になりうる。
たかがTシャツの話で物騒な物言いだが、これは事実だ。
先日、高円寺の街を散歩していた時のことだ。20代前半と思われる男性とすれ違った時、ふと、彼が着ているTシャツに目が向いた。妖艶なメイクを施した裸体の女性と、一目では判別し難いフォントでデザインされた文字がプリントされている。僕にはすぐに分かった。90年代初頭から現在までの長きにわたり活動するゴシック・悪魔的思想などの要素を取り入れた世界観が特徴のイングランド出身のヘビーメタルバンド「CRADLE OF FILTH」のTシャツだ。おそらくは古着だろう。オーバーサイズで首元が少しよれていた。彼は流行のワイドパンツとゴツいファットなスニーカーを合わせて今っぽくとてもお洒落に着こなしていた。
しかし、しかしである。僕の脳裏にひとつだけ疑問がよぎった。
「彼は本当にCRADLE OF FILTHのファンなのだろうか?」
余計なお世話だということはわかっている。これは完全な偏見だ。だが、だがしかし。今どきの20代の青年が、活動歴の長い特殊なコンセプトを持つエクストリームロックバンドのTシャツを着こなしている姿に、僕は果てしない違和感を覚えてしまったのだ。流行を取り入れたスタイリングと、ヘビーメタルバンドのおどろおどろしいアートワークの不一致。仮にこれがスキニージーンズに背中まで伸びたロングヘアスタイルという、伝統的メタルアティチュードを踏襲した出で立ちであれば手放しで称賛したかもしれないが、残念なことに、彼は“お洒落”だった。
ファッションは自由だ。好きなものを着ればよい。しかし、ことバンドのTシャツに袖を通すとなると話は変わってくる。日本において、見ず知らずの他人から直接指摘されることはほぼありえないと思うが、ひょっとすると海外だったら道ですれ違う陽気な音楽ファンに「NICE SHIRT♪」と褒められるかもしれない。実際僕も何度か外国人からすれ違いざまにその時着ていたTシャツを褒められたことがある。もし彼が同じ経験をしたとして「THANK YOU♪」と返すのならば、その「サンキュー♪」にはいかほどの想いが乗っているのだろうか。
メタルバンドのTシャツを着た人が歩く光景は高円寺という街では特別不思議なことではないかもしれないが、彼の場合はそのバンドのチョイスがかなり攻めたものだったことは否めなかった。CRADLE OF FILTHという過激で特異なコンセプトのバンドTシャツを着用して己のバンドに対する愛を主張し街を闊歩する若者が、令和の世に存在するのだろうか。居てほしくない。居てたまるか。あえて、言わせてほしい。この若者はおそらくCRADLE OF FILTHの音楽を聴いたことがない。聴いていないと思うの。聴いてないって言ってほしい。
僕がバンドTシャツの着用について過剰な偏見を持つ理由を伝えるため、過去の辛い思い出を話さなくてはならない。
いまから15年以上前、宮城県の田舎から上京した僕は高田馬場にあったとある中古CD/レコードショップでアルバイトをしていたことがある。このショップの店長が大変個性的で、常にヘビーメタルバンドのTシャツを着用し、言動を含めて屈強なアティチュードを示す方だった。その主張は自分以外の人間にも及び、エクストリームなロックバンドを好む僕にはファッションチェックと称して日々、過剰な“査定”の目が向けられていた。
ある日の出勤日、僕はイギリスの大御所ヘビーメタルバンド「IRON MAIDEN」のTシャツを着用していた。アルバムも何枚か所持しておりその音楽性もリスペクトしていたため、自分にとってこのバンドのTシャツを着るのは自然なことだった。
店長は険しい目つきで僕の服装を見るなり、開口いちばんこう言った。
「お前、誰の許可を得てアイアン・メイデンのTシャツを着ているんだ?」
正直まったく意味が分からなかったのだが、僕の回答を待たずに店長は続けた。
「俺がメタルを愛しているのはわかっているだろう。今後は、俺の目の前で許可なくヘビーメタルバンドのTシャツを着るな。」
泣きそうだった。僕は少なからずバンドに対してリスペクトの気持ちを持っていたし、店長とアイアン・メイデンについて会話ができれば良いなという期待もあったのだが。
20歳そこそこの若造が大御所バンドのTシャツを着用するのは身の程をわきまえていなかったということなのだろう。反省した僕は、後日別なバンドのTシャツを身に着け店舗に向かった。
その時に着ていたのはパンクロックバンド「THE MAD CUPSULE MARKETS」のツアーTシャツだった。何度かライブにも参加したことのある思い入れの強いバンドだ。
店長の鋭い視線が僕のTシャツに向けられる。足の先から頭までを舐めるように見て、店長はのたまった。
「そんなメジャーなバンドのTシャツを着やがって。チャラいな、お前は。」
正解ではなかったようだ。店長は続ける。
「それよりも今日のお前の帽子と靴の色が気に入らない。」
いったいなんの話だ?僕の思考回路はショート寸前で、店長が何を言っているのか本当に解らない。
この日の僕は、紫色のニットキャップに同色のスニーカーを履いたコーディネイト。
それを見た店長はこう言ったのだ。
「冠位十二階というものを知っているか?紫色というのは最上級の位の人間が身に着ける高貴な色だ。店長を差し置いてその色を身に着けるんじゃあない。」
迂闊だった。この店の中は1,400年前の古代日本の階級制度が適用されていたのだ。
思い出すと辛くなってくる。こんな理不尽なファッションチェックが2,000年代の日本でまかり通るというのか。宮城県の田舎から出てきたばかりの僕にはあまりにも過酷な洗礼だった。これが、東京か。
悔しい。なんとかして店長に認められたい。僕だって本当にロックバンドが好きだし、好きなアーティストへの愛をファッションで表現したいのだ。
後日、諦めの悪い僕は、またも別なバンドのTシャツを身に着け店長と対峙した。
イングランドのグラインド・コアバンド「NAPALM DEATH」のアルバム「SCUM」のジャケットがプリントされたTシャツを着て戦に臨む。もちろん紫色の物は身に着けずに。Tシャツ以外に店長を刺激する要素が無いか細心の注意を払って、スキニージーンズにコンバースのスニーカーだけを合わせたシンプルな装いで店長に出勤の挨拶をした。
「今日のTシャツは良いな。合格だ。」
安堵した。初めて店長が僕のTシャツを認めてくれたのだ。長い戦いだった……。
店長は上機嫌でグラインド・コアというロックの魅力や、そこから派生するデスメタルとハードコアパンクの関係の歴史、僕も大好きな日本のデスメタルバンド「HELL CHILD」のライブ体験について教えてくれたり、終始笑顔でエクストリームロックへの愛を語ってくれた。しかし店長は、なぜIRON MAIDENとTHE MAD CUPSULE MARKETSがNGでNAPALM DEATHがOKかという理由は、ひと言も話してくれなかった。この疑問への答えは、今も闇に葬り去られたまま見つかっていない。
バンドTシャツを着る。この行為は己の好きな音楽に対するアティチュード提示という自己表現に最も手軽に挑戦できる手段のひとつだ。しかし僕はこの過酷な経験をもとにあえて言いたい。
誰が、どんな目で、自分の服装を見ているのかはわからない。
ファッションは自分のためにするものなのは間違いないが、バンドTシャツを着る時だけは、周囲から向けられる視線に対して細心の注意を払い、どんな罵声を浴びせられても屈することのない断固たる決意と覚悟を持って精神的に武装することを忘れないでほしい。下手をすれば僕のように心に大きな傷を負い、トラウマとなってその後の人生にも影響を及ぼすことになる。同じように辛い経験をする人が他にいないことを心から願っている。
CRADLE OF FILTHのTシャツを着ていた若者は元気だろうか。彼のことは何も知らないが、そのTシャツがバンドの物だとを知っているならば、ちゃんとその音楽を聴いてリスペクトの心を持ち、是非とも着続けてほしい。
だが、これだけは大事な事なので2回言わせてもらう。
誰が、どんな目で、自分の服装を見ているのかはわからないのだ。
バンドTシャツを着用することは、その人の第一印象を決定付けるだけでなく、ときとして対人関係やその後の“思想”にさえも影響を及ぼすリスキーな行為であるのを努々忘れないでほしい。
■CRADLE OF FILTH
■IRON MAIDEN
■THE MAD CUPSULE MARKETS
■NAPALM DEATH
■HELL CHILD
■冠位十二階
■ムーンライト伝説
■SLAM DUNK