
ラジオ好きは友達が少ない

ラジオ好きは友達が少ない
突然だが僕は友達が少ない
僕はこれから友達が少ないことをあたかもラジオのせいかのように話すわけだが「ラジオだけが友達」ということもなく、ラジオを理由に予定を断ったりするほど優先してきたわけでもない自分の半生とある種いびつなラジオとの付き合い方について書きたいと思う。
改めて
僕は友達が少ない
電撃文庫とは無関係な話これまでの記事からもなんとなく感じ取っている人は少なくないのかもしれないが、地元で何かあった時に声をかけ得る友人は1人か2人ほどしかいない現状である。
もちろんそれは人間強度が下がるとか省エネとかそういう主人公特性でもなんでもなく、僕自身の怠惰さとひねくれ根性が起因しているというのは重々承知しているが
どこから狂ってしまったのか…
思えば小中学校は自分で選ぶともなく友達というのは何の能動性もなく存在し、部活動などのコミュニティで自然に形成されていく恵まれた環境にいたからか、高校生活から友達の数は激減した。
そこでも割と受動的だった僕は自ら選んで誰かを誘って何かをするということも少なく、中学時代の部活地獄からも解放され帰宅部だったため高校時代は自堕落ながら音楽やサブカルに没頭し、側からみればうつつをぬかしていたようなものだと思うが夏休みも一部の友人から声がかかるの待ちで基本は1人で過ごしていた。高校2.3年の夏休みの記憶はほぼ無くそこに青春など無かったのだ。(1年生の頃はプール監視のアルバイトをしていたのでその記憶だけある)
1人の時は大体うちの中でろくでもないこと考えてる間に終わっちゃうのは歌の中だけの話ではなく、実際ゲームか音楽を聴くかという過ごし方でやはり今いかに装飾して思い出してもまともな映像が全然出てこないのだが、こう見えて夜考えごとを始めると眠れなくなってしまう性格である僕はラジオを毎晩聞いていた。
ラジオがないと寝付けない
一般的に「ラジオ好き」と名乗る人のほとんどが芸人さんのAMラジオ番組を愛好していると思う。僕の世代だとナイティンナインや松村邦洋さんがANNのパーソナリティを務めていた時代だったが、悲しい話僕の住む地域ではAMの電波がほとんど入らなかった。なので高校生までは地方FMをずっと聞いていた。勉強をしながら軽快なラジオDJの番組にクスリと笑い、アイドルや俳優さんの番組から伊武雅刀さんのジェットストリームとともに眠りについていた。1:00に差し掛かるとつるの剛士さんがゴリゴリのロックを流すのでそれまでに間に合わない場合「就寝チャレンジ」はほぼ失敗に終わり苦しむこととなる。
それからだろうか、1人でいる時に無音なことが怖いと感じるようになってしまった。正確に言うと無音状態だと思考が安定せず色々と考えすぎてしまうので、音楽を聴くかラジオかしないと不安になってしまうようになっていた。
イヤホンを忘れたら出先で買ってしまうくらいの無音恐怖症
それが最も顕著だったのが大学に進学した頃だった。学校でもほとんどラジオの話題を出したことはないが、アルバイトから帰って深夜に茅ヶ崎の六畳一間のアパートで孤独感に苛まれた僕はアルバイト終わりの油臭い身体をシャワーで洗い流すとラジオを聴きながら寝るのが日課だった。スマホも無くYouTubeもまだ無い時代…音楽を聴くと寝付けないのでやはりラジオを流すことに。神奈川の大学に進学したことで田舎では聴いたことのなかった芸人さんのラジオを聴くことができるようになる。
そこでTBSラジオにて今なお続く伊集院光さんのラジオと出会った。
TBSラジオの深夜帯は当時テレビでも活躍していたお笑い芸人さんたちがたくさん出演しておりそれぞれ独自の世界観を作っていた。爽やかにリスナーに寄り添ったFM色から嗜好は一変し、芸人さんの笑いを到達点としたエピソードトークの質に何より惚れ惚れしてしまったのだが、今更語るまでもなく1番影響を受けたのは伊集院光さんだった。1人喋りで土日に旅行した話などを適度に脱線して変な部分を膨らませながら話すエピソードトークには度肝を抜かれ、ご本人が今も直接選んでいるコーナーもどれもズバ抜けて面白かった。
僕がお笑い芸人さんを好きになったのはバラエティ番組よりラジオからの影響の方が強い。バナナマンがポッドキャストでメンバーに小一時間真剣に説教していたり、山里亮太がアイドルの脱退について真剣に語ったり、伊集院さんは独自の価値観で負け犬視点から新語を発明し、くりぃむしちゅーは自分たちの学生時代をリスナーを取り巻く1つの身内ネタとして浸透させていたり…今でも思い出せるほど脳に染み付いている。色んな芸人さん達のラジオは孤独で寝付きの悪い僕の時間を埋めてくれていた。
アニメに気持ちを注いでいた頃は好きな番組系のアニラジから阿澄佳奈さんや佐藤利奈さんなど好きな声優さんのラジオに癒され、刺激を求めて「ちょっとお時間〜」や「洲崎西」などの過激派声優ラジオを聴き続けていた時期もあり、好きな女性声優さんがふざけ合って話しているだけでなんだか幸せだった。恥ずかしい話「そこらの芸人さんより面白いよ」なんて無知なことを発言した日もあった。
現在は男性がある一定のトーンでちょうどよく語るラジオが1番精神が落ち着くということがわかり、そこに日陰のニュアンスが絡んでひねくれていればいるほど親近感が湧くのでその範疇の中で選択し聴取している。そうなると結局話の組み立てが上手い芸人さんが落ち着いたトーンで現状を話すようなトーク中心のラジオがどうしても僕の中のシェアを拡大していくという現状だ。
20年様々な方面のラジオを聴いてきた結果
僕は人のパーソナルでひねくれたトークを聴くのが好きだ。
流れる楽曲やコーナーでの盛り上がりは実際そこまで求めていない。その時ある程度の好感を持つ人がひたすら自身の会話しているのを聞くのが好きで、そのトーンや発信する態度によって好みが分かれる。だからこそ短い時間で軽快に切り取られた今主流のYouTube動画やTikTokにそそられない。時代遅れかも知れないけど見てて疲れるんだもん…
なぜ友達が少ないのか
無音恐怖症とラジオの因果関係なのか
正直関係ないと思う。
ただラジオによって繊細さやひねくれ方に磨きがかかったことは確かで、ラジオ好きがラジオ内の身内ネタで盛り上がるっていうのは目も当てられない瞬間だと強く思う。まあそれはラジオ以外にも言えることで、それぞれそういう痛い瞬間は持っているものだと思うからこそ、それもまたラジオのネタになる溝として世間に投げ出すこともできると思う。やはりラジオ好き同士の会話というのは避難民の共存意識みたいなものが働いて熱くなるものでもあるし…けど側から見たらアレなのもわかる。
このように肯定と否定が何周もした本日
やはり無音が恐ろしくイヤホンを耳につけながら残業を済ませ
やはり新潟の地で文化的に孤独
不精で不義理だが友達募集中です。