
「流行っているもの」と「流行るもの」〜原田マハ『たゆたえども沈まず』におけるゴッホに学ぶ〜

「流行っているもの」と「流行るもの」〜原田マハ『たゆたえども沈まず』におけるゴッホに学ぶ〜
みなさん、ゴッホはお好きですか。
ゴッホより、普通に、ラッセンが好き。僕にもそんな時期がありました。
美学美術史を専攻してはや4年(?)、
冒頭写真のグスタフ・クリムト、
クロード・モネ
ジョン・エヴァレット・ミレイ
素人目に見ても、「パッと見、なんか鮮やかで綺麗!」な作品が自分の好みでした。細かいことは知らんが、なんか綺麗でかっこいいや!ぐらいの感じで好きなのです。
上記の画家やピカソ、レオナルド・ダ・ヴィンチに引けを取らないほどのビッグネーム。それでもって色彩鮮やか、明るくて個性的!まさしくオレ好み!な画家であるはずの彼。
そう、みんな大好きフィンセント・ヴァン・ゴッホ、、、
なぜかそんなに惹かれなかった。むしろ、何かこう、、避けていた?という方が正しいのでしょうか。
こんなのや、
こんなのも
自分でも「俺が好きそうな絵だなあ。」と思っちゃいます。
先日(2021年9月18~12月12日)、東京都美術館にて開催されていた『ゴッホ展−響きあう魂 へレーネとフィンセント』が開催されており、どれ、せっかくかの有名なゴッホの絵が観られるらしいし行ってみるか。
くらいのノリで上野へ、、、行けたら良かったのですが、怠惰な性格とコロナ云々のせいで会期内に行けず。
なんか時間があったので、ノリで福岡まで行ってきました☆
(福岡展 2021年12月23日(木)~2022年2月13日(日))
死ぬほど留年している割に真面目な私は、
二次資料として、原田マハ先生著『ゴッホのあしあと』、『たゆたえとも沈まず』をしっかりと読み終えましたので、これらから得られた私なりの知見と、思うことを稚拙な文章で皆様に共有できればなと思います。
展示物の撮影は禁止されていたので、まずは福岡で展示されていて私が実際に鑑賞した作品を何点か、同特設展図録から。と思ったけどこれだけで十分か。
『夜のプロヴァンスの田舎道』。間近で鑑賞して、思わず圧倒されてしまいました。うねるような、力強い筆跡を残した画面に引きずり込まれてしまうような、そんな感覚さえ感じていました。
画面中央にそびえる燃えるような糸杉。夜空に浮かぶは細い三日月と、これでもかと言わんばかりに明るく輝く一つの星。流れる川のような筆致で描かれた一本道。背の高い黄色いヨシタケのコントラスト。
「力こそパワー」。そんな表現がぴったりなほどに、画面にパワーを感じたのです。
思いの外、ゴッホに喰らわされてしまった後日、「ゴッホ知りてえ」と思って本屋へ。
『ゴッホのあしあと』に、私がゴッホをなんとなく避けていたことに対する回答のような文章がありました。
「−フィンセント・ファン・ゴッホは、意識的に避けてきたような気がする。興味がなかったわけではなく、実はその逆で、一度入り込むととことんまでのめり込んでしまいそうだとわかっていたのだと思う。」(原田 2018, p.3)
偉大な作家先生の感覚と、自分の抱いていた感覚を全く同定する訳ではありませんがめちゃくちゃに腑に落ちてしまったのでごめんなさい。
「怖い」に近い何かすごいパワーをゴッホから感じていた。そんな感覚を完璧に言語化してくれていると感動してしまいました。
ゴッホが画家として生きた時代、19世紀末は西洋絵画の大きな転換期です。
1886年、ゴッホがパリにやって来た年。
従来の権威主義的なフランス画壇(説明は省略しますが、誤解を恐れずにごく簡単に言うと、構図の作り込まれた「お堅い」絵画が一般に認められていた世界。)に反旗を翻し、もっと自由な絵画表現を求めた「印象派」と呼ばれる画家たちが、ブルジョアジーの中で少しずつ話題になり始めていた時代です。
ゴッホは印象派の絵画や、ジャポニズム(特に浮世絵)に大きな影響を受けつつも、流行や新しい表現をそのままなぞるのではなく、自分だけの表現へと再構築、昇華させています。
37歳と言う若さで自らの命を絶った(諸説あります)ゴッホの作品、とりわけパリに移って以降の作品に、素人の私にも伝わってくるような並並ならぬパワーを感じるのは、文字通りの命がけで「オリジナル」を模索し続けた結果なのでしょうね。
そんなこんなで、今回の記事のタイトル。
「流行っているもの」と「流行るもの」。
流行っているものを作るのってめちゃくちゃ簡単。だって完全にそれをパクるか、ちょっとだけ変えて世に出せばいいんだもん。
流行っているものの「オリジナル」??。んなもんなんだっていいんだ消費社会。
どっかの誰かが命を賭して生み出したかもしれない「流行る(かもしれない)もの」。それの物質的な質をちょっと上げて、もしくはコストをちょっと下げていっぱい売るだけ。馬鹿かよ
オリジナルでありたい25歳大学4年生春、まだ死ねない。
参考文献
原田マハ(2017)『たゆたえども沈まず』、幻冬舎文庫。
原田マハ(2018)『ゴッホのあしあと』、幻冬舎文庫